内山敏行「手持食器考」

 先週末、内山敏行氏の「手持食器考ー日本的食器使用法の成立ー」を取りに戻るため神奈川に帰宅。「羊肉のなみかた」に頼んでおいた骨付きラムレッグが届いていたので、さっそく塩とハーブを擦り込んでオーブンで1時間余りロースト。付け合わせはポテト。これまたデリバリーワインに頼んでおいたシャトー・ル・グラン・ヴェルデュのうちの1本を開ける(長男も加わったため結局2本抜栓)。肉は4分の1ほど長女のために取っておいたのだが、夜の間にテーブルの上のそれを我が家の甲斐犬が……。翌朝、家族皆からたいそう叱られていた(置いておいた方が悪い?)。週明け、帰途の越後路は夜の吹雪。ライトを点けても白いカーテンしか見えず、一体どこを走っているのか分からない、しかも路面は滑る、……なかなか怖い思いをした。

内山敏行「手持食器考ー日本的食器使用法の成立ー」『HOMINIDS』vol.001,1997

 件の「手持食器考」は、汎東アジア的な視野に立って日本的食器使用法成立の機序を明らかにした秀論。と気づいたのは恥ずかしいかな、今回たまたま正に食器が大きく変化しようとする直前の遺跡を調査し、その変化の兆しを見せる土師器の分析に迫られてにわか勉強した結果である。「なんとか地方のなんとか遺跡の何とか式土器の一様相」といった議論はバカにしていたがが、なになに、調べて見ると何でも面白いものですある。

 いずれにしても、「手持食器考」を掲載したというその一事をもって、『HOMINIDS』は創刊された甲斐があったというものだ。

 ちなみに、『HOMINIDS』を古墳文化研究会の『日本古代文化研究』の後継と捉える方がいるようだが全くの誤解である。古文研は「親の仇とでも目的が一致すれば研究は共同でやる」というのが少なくとも方針であるクールな集団。対してCRAはその編集方針でもわかるように仲良しグループである。まあ、寄稿者がダブっているのと、資金が流れたという点では繋がりはあるが、基本理念からして全く異質の集団と雑誌である。そういう誤解を解くためにも、古文研と『日本古代文化研究』を再建しなきゃならないのかもしれない……7C研が実質それに近いものではあるが。

 というわけで、生物学的あるいは進化論的枠組みから解放された、新しい方法論に基づく型式学的な議論の場(とくに東日本における)としての古墳文化研究会あるいは『日本古代文化研究』の再開、というのはかなり意味あるように思う。ただ、私の興味の方向が今のところ軍事史の方に収斂してしまっていて、にわかにそれを実現させるというのは物理的に無理な状況ではある。何しろ、今まさに報告書作りと協会の発表要旨の締め切りが重なって死にそうな状態だし、仕切り直しの七星剣も成功させなくてはならないし、あれもこれも仕事がたまっていて、とてもじゃないが……。

 ただ、さきに古文研が尻窄みになるにあたってのあれやこれやのコンフリクトを理由に再開しないというのは、「親の仇とでも」という古文研本来の指向とは異なる考え方の枠組み。したがって、物理的状況がそれを許し、考古学研究にとって意義ありと判断されれば、いずれ是非とも再開したいと思う。

 それにしても、協会の発表はあまりにもテーマを巨大にしすぎて、まとまるかどうか。ま、割と面白い(少なくとも去年のあのしょぼくれた発表よりは)大風呂敷を広げられるとは思う。乞うご期待。