メアリー・ローズ号沈没の位置

ヘンリー8世
1491-1547

 メアリー・ローズ号は、6人の妃を持ったことで有名なヘンリー8世が建造した、イギリス海軍の軍艦である。1545年、フランス海軍との海戦において、英国艦隊の拠点ポーツマス港の目と鼻の先で沈没した。

 ところが、インターネット上には、なぜか間違った情報が広まっている。例えば、かのウィキペディア日本語版では。

1545年にソレントの海戦でイングランド艦隊の旗艦となり、フランス艦隊と戦闘を行うが、その際に炎上してしまう。強度を失った船体は転舵の際にプリマス沖に沈んだ。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 しかし英語版には、はっきりこう書いてある。

She led the attack on the galleys of a French invasion fleet, but she sank in the Solent, the straits north of the Isle of Wight.

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 1545年にイギリスとフランスの間で海戦のあったソレント海は、イギリス本島とワイト島とを分かつ小さな海峡である。ワイト島までは、手こぎボートでも渡れる程度の距離だ。その狭小な海峡の本島側に、イギリス海軍最大の拠点、ポーツマス軍港がある。

 つまり、ソレントの海戦というのは、イギリス海軍の喉元にフランス海軍が匕首を突きつけたという感じの、イギリスにとっては不名誉極まる戦いであった。しかも戦闘では、ポーツマス軍港の目と鼻の先のところで、フランス海軍が繰り出した小型のガレー船に艦隊の旗艦が攻撃され、陸地から多くの人々が目撃するなかで、あれよあれよという間に沈没してしまったという、なんとも情けない戦況であった。

 そのような次第で、メアリー・ローズがプリマス沖に沈む訳がないのである。戦いの一日後にプリマス沖で沈んだ、などともっともらしいことを書いているWebsiteもあるが、いったいどこからそうした誤った情報が伝わったのであろうか。ウィキペディアを鵜呑みにしてはいけない。

 海戦に前後してワイト島にもフランス海軍の陸戦隊が上陸し、周辺の町を焼き払って乱暴狼藉の限りを尽くした。これに抗して、ワイト島住民が反撃に出て、女性も含めた弓兵がフランスの陸戦隊を撃退したという話を読んだのであるが、何処で読んだのか定かではない。

 さて写真は、メアリー・ローズ号博物館で手に入れた帽子である。後ろに沈没位置の緯度経度が刺繍してあり、ベルトの止め金具には進水した1511の年号が打たれている。お気に入りのキャップである。しかし、至極残念なことに、帰ってきてからタグを見たら、Made in Chinaと記してあった。中国、恐るべし!

参考図書