ソミュール戦車博物館 1

ティーガーIIの前で記念写真
Small relief base map of Saumur
ソミュールの位置 CC BY-SA

 2011年、東日本大震災の年の暮、ソミュール戦車博物館をのぞいてきた。戦車オタクというほどではないが、ユーラシア大陸の騎馬文化の研究に関わる者として、兵科の上で騎兵をルーツにする機甲部隊についても、多少は知っておきたい、というところがある。それに、一度は戦車博物館というものにお目にかかりたいとも思っていた。

 ソミュールは、世界遺産の古城巡りで人気のあるロワール渓谷の中ほどに位置するフランスの小都市である。ロワール川を望む街の中央の丘にも、そうした世界遺産のひとつ、ソミュール城がある。観光地としては、戦車博物館より、そちらの方がはるかに有名だ。

 この文を書くために調べていて知ったのだが、ソミュールはココ・シャネルが生まれた町でもある。慈善病院で産み落とされ、孤児院で育ち、お針子をしながらキャバレーで歌い、やがてパリに出て……という生い立ちは知らなかった。

ロワール川の向こう岸に姿を現したソミュール城

 ソミュール駅から少し歩くと、ロワール川の向こう岸の丘にソミュール城の美しい姿が見えてくる。世界遺産を構成する周辺の城々の大半は、白馬に跨った王子様が現れそうな、こうした絵に描いたような「綺麗なお城」である。攻城砲が発達したあとは、こうした高く聳える塔や城壁は、戦いのためには無用の長物と化す。大砲の格好の標的となって弾丸を撃ち込まれ、粉微塵にされてしまうからである。

ソミュール城に残された保塁跡。その後、改修工事が進んでいるらしい。

 攻城砲の発達に対抗して生まれたのが、平べったくて巨大な面積を持つ、いわゆるイタリア式城郭である。15世紀末から16世紀初頭にかけて、新型の大砲を有するフランス軍がイタリアに侵攻した際に、それに対抗して発明されたのでその名がある。またたく間にヨーロッパ、さらに世界中に広まった。函館の五稜郭は、その末裔である。上空から見ると星型をしているので、星型要塞(star fort)と言ったり、三角形の突端部(バスティオン:稜堡)を持つので稜堡式城郭ともいう。この星型稜堡が、今でもソミュール城の東と南側に残されている。私には、「綺麗なお城」より、こちらの方が面白かった。アルザスで偶然ヴォーバン元帥が設計した巨大な城塞に遭遇して以来、すっかり稜堡式城郭フリークになってしまったのである。

ソミュール城からロワール川を眺める。 士官候補生があの橋を守ろうと戦った。

 実は、これも今になって知ったのだが、ソミュールにはフランス陸軍の乗馬学校があって、騎兵博物館が併設されている。ユーラシア大陸の騎馬軍事力の歴史に関心を持つ者として、見落としてきたのは惜しい。調べてみると、ナチス・ドイツのフランス侵攻(Battle of France)の際、この乗馬学校の士官候補生560名が他の兵士1600名とともに、ロワール川を防衛線として、ドイツ陸軍1個師団10000名を阻止すべく善戦したという逸話が残されていた(Battle of Saumur)。何も知らないで渡ったあの橋の確保をめぐって、熾烈な戦いがあったのだ。

ロワール川のシノン原子力発電所

 少し遠回りになるのを承知で、戦車博物館までロワール川の岸辺を散歩していくと、遠くに何やら禍々まがまがしい複数の白煙が見えた。原発4基を擁するシノン原子力発電所。ロワール渓谷周辺には、世界遺産の古城だけでなく、原発もたくさんある。

ソミュール戦車博物館入り口

 戦車博物館のエントランスは、まるで工場の事務所のような感じだ。それもそのはず、フランス陸軍の戦車整備工場の半分が、博物館として使われている。ガランとした工場の建物をそのまま利用している。受付と売店以外は暖房もないので、たいそう寒い。夏は恐ろしく暑いのだろう。

左からレオパルト2、レオパルト1

入館するとすぐ、戦後のドイツ連邦軍戦車が展示してある。左からそれぞれレオパルト2、レオパルト1戦車。
 レオパルト1(Leopard Eins)は、西ドイツが1956年から開発を始め、1964年から生産した第2世代主力戦車。主砲はイギリスが開発したRoyal Ordnance L7 105mm戦車砲(日本の74式戦車と同じ)。重量40t、速度65km/h。NATO軍の他、オーストラリアなど多くの国で採用された。
 レオパルト2(Leopard Zwei)は、1977年に採用された西ドイツの第3世代主力戦車。イギリスやフランスを除くヨーロッパ諸国で広く採用され事実上の欧州標準戦車とされる他、シンガポールやインドネシアなどのアジア諸国でも採用されている。120mm滑腔砲を持ち、重量約50t、速度72km。

 

カノーネンヤークトパンツァー KJPz.4-5

 レオパルト1の隣に置いてあるのが1960年代初頭に西ドイツが開発した駆逐戦車Kanonenjagdpanzer 4–5。ちょっと見たところ、戦前のドイツ軍の駆逐戦車と見分けがつかない(実際、説明書きを読むまでそう思った)。最初にスイスに配備されたというのが面白い。待ち伏せ攻撃に向いているからだろうか? 対戦車砲の威力が足りなくなり、時代遅れとなって、対戦車ミサイルに換装したヤグアルに改修された。

つづく