『野帖』の再開

投稿者: | 2018年7月16日

開設者がいつしか「考えない人」となり、そのため野垂れ死にしていた『考える野帖』を再開する。幸い、辛うじてURL(Uniform Resource Locator)が生き残っていたことを八百万の神々に感謝しなければなるまい。

「考える」のは、主に私が住む弧状列島の文化である。ただし、この小さな島国から世界を眺めるという思考のスタイルはできるだけ避けようと思う。ユーアラシア大陸の騎馬遊牧民文化、環太平洋の海洋民文化、二つの対照的な文化との対比を通して、なるべく俯瞰的に考えていきたい。その際、思考の鍵としていくのが、日本列島で成立した特異な「弓馬の道」だ。

馬文化は、4世紀末ないし5世紀に朝鮮半島経由でもたらされた遊牧騎馬民族系の文化である。最高神が天から降りてくるタカミムスヒ系の新しい神話群などとともに、列島の住民の間に怒涛の勢いで波及した文化複合の重要な構成要素の一つである。江上波夫による「騎馬民族日本征服説」も、この大きな動きに着目した学説だ。

ところが不思議なことに、馬とともに騎馬民族系文化の基幹をなした弓文化に関しては、日本列島の住民は断固としてこれを受け入れなかった。騎馬文化の重要な構成要素である彎弓は受け付けなかった。その代り、それ以前に朝鮮半島南部経由で受容した、太平洋型の長弓、海洋民文化に伴う弓を使い続けることに拘った。

このため、日本列島型「弓馬の道」は、騎馬民族系と海洋民系の文化とを複合させた、よく言えばユニーク、言い方を変えれば実に奇天烈なものとなった。その「奇天烈な文化構造」が今日に至る日本文化の基層となっている、というのがこれからここで考えていこうとすることの骨子である。

ところで、かつて「彷徨える考古学徒」を自認していた私だが、どうも暗いので止めにする。そもそもワグナーのオペラは基本的に苦手だ。モーツァルトのパパゲーノ的陽気さで「プルス・ウルトラ」をモットーに考古学していこう。